東京で暮らす風景
ここのところ、エッセイの練習をしています。
いくつかの賞に応募してみようとしたのがきっかけですが、ブログとはまた違う文体で、
いろいろ模索しています。
今回はいくつか書いたものから、没にした短い文章をここに掲載したいと思います。
東京で暮らす風景
友人とライブへ行く約束をした。場所は六本木、クラブレストランだ。開演の前に、国立新美術館で展覧会も観に行こうと決めた。大江戸線ができてから、六本木には行きやすくなった。外国人も多く、文化の発信地らしい街だと思う。
埼玉にほど近い今の土地に引っ越して10年、一人暮らしの今の部屋に住み始めてから2年がたつ。23区内ではあるものの、とっつきやすい雰囲気と、生活しやすい物価で、比較的暮らしやすく感じている。徒歩15分ほどの先にある実家では、姪と甥のきょうだいが同じ小学校に通い、祖母であるわたしの母が、送り迎えをしている。
母は三鷹の生まれで、吉祥寺には昔からよく行った。わたしにとっては昔からのあこがれの街だった。井の頭公園も、ジブリ美術館も好きだが、カフェや買い物など一日歩いても楽しめる。今の住まいからもバス一本で行けることもあり、何となく「会いに行く」街のような気がする。
これらの街を抱く東京に対して、昔より静かな印象のフィルターを感じるのは、わたしが年を重ねたからか、それとも、わたしたちの夢見る頃が過ぎたからか、本当のところはわからない。けれど、道の一つ一つを分け入って歩くと、人の生活の気配と、車や電車のつなぐエネルギーは膨大である。
今でも思い出すのは、2年前、地元の駅前の再開発で新しいショッピングビルが完成したとき、多くの人たちが驚きまた喜んで中に入る中、それ以前の姿が記憶にないことだった。大きな変化は建物ばかりでなく、人の心も変えていく。いや、もしかするとわたしたちが変わるから、新たな街並みが生まれるのが東京という場所なのかもしれない。
2020年の東京五輪に向けて、さまざまなことがなされているが、オリンピックの未来すら実は不透明だ。開催都市であっても、栄光と発展が約束されているわけではない。いや、実際目の前で本番を迎えても、本当に現実のものと思えるか疑わしい。映像で見ることに見慣れたイベントが実現しても、どこか虚構のようにとらえてしまう気がする。
今わたしが感じる思いの中に、愛着はあるかと聞かれると、黙りこんでしまう。
点と点として好きなスポットはあっても、どこかゲストのような感覚は残っている。39年生きてきても、まだ、わたしは定住という選択はできないままで、仮暮らしのヤドカリのようだ。出身地の神奈川との縁はだいぶ前に切れて、あえて言うなら、1年間暮らしたニュージーランドの方が今も自分に影響を与えている。だが、東京はわたしにとってはやはり特別で、それはわたしみたいなヤドカリでも生活できる便利さがあるからだ。
自分探しの理由は説明できないままでも、日々新しい朝を迎える。様々な縁と出会い、それと引き換えに営まれる生活は、ささやかでも、足りている。忘れられない瞬間がどれだけあっても、常に新たに生まれ変わる。その原理を、わたしはこの年で理解した。
今の住まいはマンションで近所付き合いはほとんどない。それでも夜一人で眠るとき、人の気配にどこか安心感を覚える。近所の中学校のチャイムで一日の区切りをつける。そういうことの繰り返しの中にある未知の出来事が、わたしに何をもたらすか。もうしばらく考えていこうと思う。
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