火花について考えたこと
先日、映画火花を観に行きました。
以前、電子書籍で又吉直樹さんの原作も読みました。それぞれ印象に残ったことを少し書きたいと思います。
この作品の背景の一つに、上京して東京で愛着を持つ街として描かれる吉祥寺があります。井の頭公園があり、気軽に飲める店があり、一人でも孤独を感じないくらいに賑わっている街。わたし自身もなじみがあり好きなところで、共感することが多かった一方、主人公たちが生まれた大阪の様子はほぼ何も描かれていません。そのコントラストには、ラスト近くお笑い芸人を辞めて他の仕事になっても、東京で暮らしていることの理由も推測されます。
あと、漫才というもの、人を笑わせることを仕事にしていくことの覚悟と、情熱と、挫折がここまで描かれる作品はなかったかもしれません。そこにはスポーツや伝統芸能にも通じるストイックさと、本質がつかめないながらも追求し続けるに足る世界だと気づかせてくれる新鮮な驚きがありました。
芸能界は才能だけで成功するわけではありません。でも名もなく消えていった数多の芸人たちが、その成功者を支えているという訴えは、映画でも痛切に伝わってきました。
あと、タイトルの火花という言葉ですが、花火でも炎でもなく、火花という
瞬間的な光や熱を表す言葉にしたことで、永続できないものを残したいという作者の願いが込められているように思います。それは笑いが起きる瞬間でもあり、自分たちを照らすスポットライトの儚さでもあり、夢というもののあやふやさでもあります。
いずれにせよ、文学、そして映画どちらでも、わたしには惹きつけられる要素があり、感想などを書きました。公開中なので、よかったらご覧になってください。
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