もういちど

もういちど



 幼い頃のわたしは何でも「もういちど」と言うくせがあった。

 テレビで面白い場面があるともういちど、夕食のおかずが好きなものだともういちど、寝る前に絵本を読んでもらってももういちど。そのたび両親はビデオを巻き戻して再生し、ハンバーグのお代わりをくれて、また最初のページをめくってくれた。

 その両親はわたしが小学四年生のとき離婚した。もういちど、一緒に暮らしたい。その言葉を呑みこむことを覚えた。
 中学一年生のとき、はじめてラブレターを部活の先輩に送った。
返事がなかったので、もういちど手紙を書いて渡しに行ったら、「うぜーよ」と言われた。わたしは学校に行けなくなった。
 もういちど、学校に行きたい。そう思っても体は動かず、もういちど行ったのは、卒業式の終わったあとの校長室だった。

 高校ではひたすら勉強に明け暮れた。成績が良かったので思い切って国立大学を受験したら、不合格だった。
 浪人してもういちど受けよう、と思ったら母からそんなお金はないと言われ、進学をあきらめた。
 牛丼屋と清掃のアルバイトを掛け持ちして、夜に司法試験の勉強をした。でも途中で体を壊して、その年は受験できなかった。
 法律事務所の就職も高卒では無理で、小さな不動産会社の事務職に就職した。その頃母が他界した。
 一人暮らしを始めたわたしは、大量にハンバーグを作って、三日間食べた。
 
 今日はわたしの三十歳の誕生日だ。猫にミルクと餌を与え朝食を済ますと、わたしは司法修習のため検察庁に向かった。
 二年前、独学で司法試験に合格したのを機にわたしは会社を辞めた。
 勉強の息抜きに始めた子どもの本の読み聞かせボランティアで、今の彼と知り合った。
 はじめて二人で食事に行ったとき、彼は離婚歴があり、できたらもういちど幸せな家庭を作りたいと言った。
 わたしは答えた。そういう風にあきらめない気持ちを持ったあなたは素敵です。もういちど、がわたしでいいんですか。
 彼は言った。君が好きだ、何度でも言うと。

 携帯に彼から「誕生日おめでとう」とメールが届いていた。この三十年は二度と戻らないけど、わたしはただ一度きりの人生を歩いていく。
 わたしは蟻の絵文字を10個打ってメールを返した。

<了>

Sky in every mind

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