生きる痛みと喜び:思いをシェアすること
こんばんは、になります。
仕事から帰宅して簡単な夕食を済ませたところです。
本当なら、明日に備えて
すぐに寝る準備をするところなのですが、
いろいろ考えてきたことがあり、
ここに書きたいと思います。
2020年もあと3週間ほどで終わりますが、
私個人は、夏くらいから、
自分の中で幸福感を感じる場面が増えてきました。
痛切な別れや失意もありましたし、
世の中の状況に心を痛める時もありましたが、
私自身は、一つ一つ行動を重ねることで
ここにきて多くの成果を得ることができました。
経済的にも自立し、
小説も完成したし、
日々の生活はよりスムーズになりました。
ラッキーな面もありましたが、
気がつくと、今は
自分にとっては自信になった一年になりました。
その一方、40代という年齢を重ね、
ベテランとも中年とも言われる年頃になり、
若い世代や新しいものとかへの
ギャップや驚きや違いを自ら感じることも増えました。
そして、一人暮らしを続けてきて、
気がついたことが、
自分には自分の思い出をシェアする人がいないという
欠落でした。
自分が生きてきた中での出来事やイベントだけでなく、
思い出になる場面、言葉、映画や本、音楽、アート。
SNSやブログとかでは発信していました。
でも、私の今の人生には
私の生きる姿を思い出として共有し、また
それをこの先託していける相手はいません。
家族とも離れて生活する中で、
ずっと文章を書くことはやめませんでしたが、
それはつまり、
将来誰かに読んでもらうためであり、
自分の思いをシェアできる人に宛てたものだったと
気がつきました。
そして同時に、
その相手と出会うことなく人生を終えることも
覚悟しないといけないと気づきました。
今の私の幸福感は、
私がいなくなると消えるのだろうか。
これまで書いてきた文章は
日々の喜びの痕跡だけど、
それだけでいいのだろうか。
ここにきて、そういう疑問が
生まれつつあります。
でも、このコロナの中、
家族や親類と会うことも躊躇する状況で
シェアされる人生、または、
シェアされないまま続く人生について
難しい課題だと思います。
仕事で、生活の場で、創作の場で
それらひっくるめて、
私の生き方って、こういう形なんだなと
認識した気がします。
小説は、そんな現実の自分の葛藤を
超えた世界にあるものですが、
新作は、会えない人たちへの想いを描きました。
会えないけど、シェアできる、
そんな希望を書いた気がします。
いつか読んでもらえる日が来たら、
そこを感じてもらえたらと思います。
今日もお疲れさまでした。
おやすみなさい。
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